今日は、「自分の型(カタ)を持つって、なんで大切なの?」について考えてみた。
今日は、「自分の型(カタ)を持つって、なんで大切なの?」について考えてみた。
自分は、小学生のときに琉球空手を習っていた。
道場でなく、師範(先生)が小学校の体育館まできて教えるやつだ。
その後、中学生になり、本格的に実践空手に通うようになった。
さらに社会人になってから、野口ボクシングでボクシングを習った。
ちなみに、空手からボクシングに変更したのは、
学生のときの、痛烈な体験から。
ぼくの生まれた足立区は、綾瀬から竹ノ塚にかけては
今では信じられないぐらい荒れていた。
で、荒川の土手でケンカして、
あ、もちろん、正当防衛だけど。。。
でも、たった一度だけ全然相手にならなかったときがあった。
拳が見えない、空しか見えない(つまり、気づいたらパンチを連続して受けている)、というのは衝撃的だった。
江戸幕府が、黒船に出会うようなもの。
そのとき、空手は実践向きじゃない、
少なくとも、似た体重同士で最後までマットに鎮め合う
レフリーがいるような格闘試合でなく、
ここまで、というところを互いに決め合う学生同士のケンカでは、
空手ではボクシングには勝てない、と痛感した。
で、空手でも、そんなボクシングでも、
あるいは仕事でも投資でも、
なにから覚えるのが早いかというと、「必ずカタから」となる。
(つづく)